40代主婦。
子どもは2人。
旦那さんと4人家族です。
今はフリーランスでwebデザイナーのお仕事をしています。
さて、前置きなく書きますが、
我が家の家計簿はずっと火の車でした。
旦那さんも私も普通に会社員として働いていましたが、
私が起業して収入を上げない限り、返せない借金があったのです。
ShiruMEは、このような過去の私と同じ状況の方がもしいらっしゃれば、
私の経験が少しでも力になるのではと思い運営を開始。
webデザイナーの話だけでなく、
自分と向き合ってきたことや、お金との付き合い方、そのほかにも
気付きや経験を書いています。
結論。
お金の悩みや、今楽しく生きている実感が持てない人は
自分自身を見失っているから。
自分自身の声をしっかり聞いてあげることで土台ができ、
自分がわかってくる。
自分がわかると
不安が来ても不安に押しつぶされない。
自分がわかると
楽しくなかった生活だったのに、自分が何をしたら楽しくなるのかわかるから
いつの間にか小さな楽しみが増えていく。。。
このように、まずは自分自身を知ることが全ての原点となるんです。
そうとは言っても
イマイチ「自分自身の声をしっかり聞く」ことが
腑に落ちない方も多いのではと思います。
私もずっとそうでした。
なので、
私が実際に自分と向き合っていく過程をこのブログに全部書いていくことによって、
- 同じような境遇の方
- 同じように我慢して生きてきた方
- 自分の中がなんかモヤモヤする人
- 変わりたいのに変える方法がイマイチわからない方
が、一緒に「自分を知る」方法を見つけられるのではと思っています。
そしてShiruMEが
「この気持ちは一人ではないんだ」と、安心できる場でもあって欲しいと思っています。
心が窮屈になってしまっている女性が、
生まれてきたことに感謝できる世の中になって欲しいと心から願っています。
----------------過去の話
【小さい頃】
親から聞くと保育園の頃の私は
お友達と遊ぶより、自分一人でやりたい遊びをやるタイプだったようです。
みんなが園内で遊んでいても私だけ園庭で遊んでいたり、先生から心配されるような存在だったらしいです。
全く覚えていませんが。笑
小学校ではなぜか目立つ存在でした。
手を挙げてもいないのに、市の本のモデルに抜擢されたり、鼓笛隊に入っていないのに指揮者やらされたり・・・。
で、そのまま中学。
中学では生徒会に入ったり(これも自主的ではなく他推薦)
陰険暴力の先生のクラスになってしまい、
毎日怒られることにビクビク。
こう振り返ってみると、目立つところにはいたけれど全て自主的ではなく、人に言われてやっていた感が半端ないです。
特に大人から言われることは守っていました。
怒られるのがこわくて。
だから私はあっという間に
自分という人間が萎縮していきました。
高校に入ると恋愛に溺れ、親からは高校から不真面目になったと、よくケンカするようになりました。
好奇心旺盛になった私がこれやりたい、あれやりたいと言っても頭ごなしに「ダメだ」と怒られる。
私の意見はそこにはなく、いつも叱られ、
「だらしない」「汚い」「顔も見たくない」と罵られる。
親からそんな言葉を浴びせられれば浴びせられるほど、私は男性に依存していきました。
今考えると、ただそばにいて
「うんうん、そうか、じゃあやってみなよ」って、温かく見守ってくれる人を探していたんだと思います。
高校卒業後は、自分のしたいこともない。
姉から行ってみれば?と言われた専門学校に入学。
結局あまり行かず。
最後の方に卒業するための補講を受けた記憶があります。
(学校を途中で辞めることはいけないことという固定観念が強かったです。毎日のように親に叱られ、これ以上叱られたくない、ダメな人間だと思われたくなかった、だから高校も専門学校も辞める選択は自分の中に全くありませんでした。)
専門学校途中で家出もし、卒業してから定職にも就かず、遊び放題の毎日を送りました。
この頃の私はここに書き切れないほど、いろいろな経験をします。
・中絶
・遊ぶお金欲しさの借金
・キャバクラでのバイト
・パニック障害
・一人暮らし
・姉と同居
・夜の商売のお客さんの家に住む
・住んではいけない違法のマンション一室に住む
・3年以上続かない複数回にわたる転職
・アル中との同棲
友人からはいつもどこに住んでいるかわからないと言われていました。
今振り返ってみると、よく死ななかったなーと思います。苦笑
【結婚してからの私】
一度、物販のネットショップ起業をした経験があります。
しかし、一人でやっていく仕事内容に限界を感じ、不妊治療を経て妊娠したキッカケで一度手放しました。
今考えると本当にやりたかったことではなかった、情熱を注ぐことができなかったのでその先に進めなかったんだなーと思います。
その後、好きだったPCの勉強をしようとwebデザイナーの道に進みます。
学びはじめは再度自宅で起業しようと思っていたのですが、webデザイナーの学校で、フリーになる前に就職した方がいいと聞いたり、子どもの保育園問題もあったので、なぜか急に方向転換。急いで就活しました。
結果、未経験のwebデザイナー就活はことごとく惨敗。
仕事内容ではなく、待遇の良さから選んだ週4時短の派遣社員に決定。
子どもも急遽、認可外の保育園に入園決定しました・・・
いざ働きはじめると、やりたくない仕事に時間を取られ、自分のwebデザイナーとしての活動時間はほんの少し。
保育園の保育料は二人分で10万越え。私の給料以上の保育料でした。
しかも給食もなく、毎朝4時おきでお弁当を作って残りの時間で勉強する日々。
何のために働いているのだろう。
何のために保育園に入れたのだろうと自問自答する毎日。辛い日々でした。
長くなるので、その後の話は別記事で書いています。