自分と向き合う

〇〇くんの気持ちはよくわかる。お父さんも昔そうだったから…

朝、いつも通り息子を小学校まで見送り、
一安心して帰ろうと正門をくぐる手前で

1人の男の子の横に、その子のお父さんが
同じ目線でしゃがみ込み

「〇〇君の気持ちはよくわかる。
お父さんも昔そうだったから…」

と語りかけている親子がいました。

私はその光景と言葉を聞いて涙が出ました。

親がそうだったから子どもがそうとは限らない

私が社会人になって数年経ったある日、
いきなりパニック障害が発生しました。

電車にも乗れず、車にも乗れず
毎日が不安で包まれていたとき

親からの電話で泣きながら
自分がパニック障害になったことを伝えました。

そのときの返事が

「大丈夫。お父さんも昔パニック障害だったから。
遺伝かもしれない。でも今はお父さんも克服したから
大丈夫だよ。」と言われたこと、今でもハッキリ覚えています。

当時の私はその言葉に対して
「ふざけるな。何が大丈夫だ!私とあなたは違う。
本当にいつもわかってくれない!」
と、さらに孤独感に包まれた感覚を味わいました。

「誰もわかってくれない」

そう思ったのです。

今ふと、私はあのとき親になんて声を
かけてもらえたら嬉しかったのだろうと
考えます。

1人で学校の教室に入れなかった息子

2023年4月。
息子の小学校入学式。

朝から大泣きで行きたくないと駄々をこねました。

次の日、また朝、大泣きで行きたくないと
暴れる息子。

それでも小学校は行かなくちゃと説得をし、
とりあえず行くも、

小学校につくなり
みんなを睨みつけているような
深刻な顔。

そして私の手を離さない。

しょうがないから教室の中までついていくも
手を離さないし、離れない。

仕方なく先生に状況を伝えると

「お母さん、少し一緒に授業受けましょうか」と
親子で教室の後ろに立ちながら授業が始まる…。

時計の針がすすんでも
息子が自分の席に行くことはなく
最終的に、巡回にまわっていた別の先生に
引き剥がされ
私は逃げるように小学校を後にしました。

正直、ここまで嫌がるとは想定外でした。

だって保育園は普通に行けていたので。

息子の特徴

息子は我が芽生えてから
たくさんの人がいる公園で遊べません。

遊具もちょっと前まで平気で乗れていたはずのものが
「こわい」と言って乗れなくなったりしました。

とても怖がりでリビング横のキッチンにも
1人で行けません。

道路を歩いていると
バイクの音などに敏感に反応して耳を塞ぎます。

あと気になっていたことは
自分から何か意欲的に挑戦することは
一切ありませんでした。

いつも「できないから」と
言って挑戦しないのです。

なのでもちろん、
字も書けないし、読めません。

発する言葉もネガティブなことが多く、
今日どんなことが楽しかった?と聞いても
「ない」とか。

ちょっとでも嫌なこと(自分の思い通りにいかないなど)が
あると、「あーもう今日は最悪」とか。

些細なことで怒ることも多く
赤ちゃんの頃は人一倍ニコニコしていたのに

なんでこんなにマイナスに考えてしまうのか
なんでこんなに怒りっぽくなってしまったのか

ちょっと心配はしていました。

少しずつ成長した

小学校入学から約1ヶ月。

息子はまだ私がいないとダメで、
毎朝教室まで私が付き添っていました。

とある日、
たまたま息子と同じクラスの女の子が
我が家に遊びに来ることに。

そして我が家の長女の自転車を見つけて
「乗りたい!」と。

そんな一言から、そのお友達の
自転車練習があれよあれよと
我が家の前の道で始まったのですが

それを見た息子が自分も乗ると。

今までは「自転車乗ってみれば?」と
聞いても「乗らない」の一点張りだったのに

そのときはすんなり自分から行ったんです。

怒りながらも諦めなかった息子

初めての日は乗れそうで乗れない。

めっちゃ怒りながら、ときには自転車を蹴ったりしながらも
めずらしく一切練習を止めようとしない息子。

とりあえず私は怒られようが叩かれようが
息子を見守り、「乗れてるよ!」「できるじゃん!」と
肯定的な言葉だけをかけ、一緒に練習しました。

次の日も、その次の日も
自転車に乗るという息子。

そして数日一緒に乗る練習をした結果、
今では嬉しそうに笑顔で乗れるようになりました。

そこから息子が少しずつ変わっていくのを感じられました。

水筒タッチでいいよ

自転車に乗れても相変わらず
私がいないと教室に入れない息子が

朝、突然、
「お母さん今日、水筒タッチで帰っていいよ。頑張ってみる」

はじめてこう言ってくれました。

※水筒タッチ… 朝教室に入ってから、
いろいろな準備をする中、
水筒を教室の後ろのロッカーに置いたときの
タイミングのこと

「じゃあやってみよう!」ってことで

教室に入りいろいろ準備して、
とうとう水筒をロッカーに置きにいったとき

2人で今日も楽しくねと小さなタッチをして
私は教室を出て行きました。

できました!

息子から逃げるように教室を出るのではなく、
ちゃんと帰るねと区切りをつけて帰ることが。

本人に合わせることが大事

それからはずっと水筒タッチをしつづけて
いつもちゃんとできてるねと必ず声掛けをするように
しました。

だんだん息子の表情もやわらぎ、
帰ってきてからも
今日は名前わからないけどお友達と少し話せたとか

学校生活のことを報告してくれるようになりました。

そんなときも良かったねって、
友達の名前は少しずつ覚えればいいから
それよりも、友達と話せて楽しかったねって

できたことの喜びを本人が感じられるように
私が息子と向き合うようにしたのです。

今まで私はきっと息子のことを見ているようで
見ていなかったんだなーと気付かされます。

些細な「できた」や、お母さん・お父さんはいつでも
あなたを見ているし安心してねという環境は
本当に大事だと思います。

お父さんと言う立場

我が家の旦那さんは息子に対して
いつも「なんでこんなこともできないのか」
「怖がりにもほどがある」「正気か」など

なぜもっと寄り添わないのかという
言葉を息子にぶつけていました。

「普通はできるでしょ」「当たり前でしょ」

これが前提にあるのです。

そんな偏った発言に、私は何度も怒りを覚え
「そんな言い方しないで」と
反論していたのですが私が言えば言うほど
旦那も「やべえぞ」とか

また足していってくる。

私はこれが原因だと思っています。

何をやっても息子はお父さんに褒めてもらえなかった。

公園で遊具を楽しもうとしても
横から「なにやってんだ、足をこうするんだ」
「何がこわいんだ?こんなもん、こわくもなんともない」
「しょーもない」
「おねえちゃんはできるのに、ほら、おねえちゃん見てみろ」

そんなやりとりを何度か見かけたことがあります。

もし心当たりある方がいれば、
このやりとりは絶対にしないほうがいい。

あなたにとって普通なことでも
こどもにとっては普通なことでないことがいっぱいある。

「〇〇君の気持ちはよくわかる。お父さんも昔そうだったから…」

この言葉は
相手のことを思って言っているかもしれないけど

相手にとっては残酷です。

お父さんにわかってもらえないと
そう捉えるしか捉えようがないからです。

だから私は涙がでました。

違う。

小学校に行ってほしい気持ちは痛いほどわかる。

でもそこを本人に言っても
本人だってわかってる。
ただただ、怖いんです。

だから小学校行かせることより
安心できる、お父さんもお母さんも
なにかあったら一番に君を助けるよっていう

絶対あんしんな環境を作ってあげることが
第一優先だと私は思うのです。

今、不登校の子が増えてきているのは
親と一緒にいる時間が少なくなり

親が子を見ているようで
見れていないせいもあるかなと感じています。

私は自分がもしフルタイムで働いていたら
息子のSOSに気づくこともできず、

気付いたとしても
きちんと向き合って一緒に喜んだり
ちいさな「できた」を褒めたり

できなかったと思います。

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